2014年10月24日金曜日

伊丹万作氏

先日、NHKのスペシャルにて『カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年』というのをやっていた。

僕は、歴史に疎い。疎いと恥ずかしげもなく言えるくらいには疎い。
不勉強を棚に上げて、私は今を生きている!なんてがばいことも言えない小心者である。

そんな僕でもドキュメンタリーはよく見る。ドキュメンタリーは良い。

勉強した気分になれるし、事実に基づいているという先入観のお陰で非常に吸引力がある。映画とかドラマとかだったら眠くなりそうな講釈も、ドキュメンタリーだ!勉強するぞ!ってテンションで乗り切れたり、多少、荒っぽい再現映像もなんか良い味だしてるとか思えたりする。

今回のNHKのドキュメンタリーは東京の繁栄と衰退をくりかえす様を白黒映像はカラーに編集して時系列にそって流すみたいなもので、2020年の東京五輪にむけてのプロパガンダみたいな映像だった。

節々で、その時期の作家が残した、その時代を表した文章がナレーションで入るのだけれど、戦後の映像をバックに語られた伊丹万作氏の一文に感動したので覚え書き。

多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。
いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかったとしたら、今度のような戦争は成り立たなかったのである。
『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。――― 1946年 伊丹万作


映画監督らしい俯瞰した立ち位置の文章がすごくそのドキュメンタリーに合っていて、映画監督ってのはいつの世もこういうキレッキレの人がいたんだなぁ。などと思って、すごい伊丹万作監督の作品がみたくなるミーハーな僕でした。