2010年9月7日火曜日

教えるって難しい。

思えば公私問わず、いろいろな場で人に物を教えるという機会が専門学校の後半くらいから(周りの人と比べて)多い生活をしてきていますが、そのたびに思う悩みというかモヤモヤというかがありましてチョットそれに関して書き留めて置きたい次第です。

教える対象は大体年が近い人もしくは年上なので、そこに“教える側”としての立ち辛さがあったりします。師匠、先生、講師、呼称はなんでも良いのですが教える側は少なくとも“その事柄に関して相手よりも上である”という立場です。

まずこの段階で友情とか愛情だとかの私情は排除しなければなりません。というかしないとやってられません。悪いものを悪い。良い物は良い。とキチンと言えなければ教え手としての軸がブレてしまうからです。

ここで重要になってくるのが自分の考えがどれだけ隙が無いようにまとめられているか≒どれだけ自分を客観視できているかみたいなことに繋がってくるわけで、僕が考えるベストな先生は如何なる質問も自らのものさしで答えを出して、あくまで“一個人の考える正解”として相手に伝えることが出来る人。相手の考える余地を残しながら、自らの美学は貫くみたいな。

押し付けずに示す。これは口で言うのは簡単ですが、仕草、言い回し、表情、等々コミュニケーションの手札すべてを導入しても難しい。相手がそもそもその土俵に上がってくれなかったりするような状況がままあるからです。

これだけ難しい行為なのだから、それらが上手く伝わり、理解され、向こうが答えてくれたときの教える側の喜びたるやハンパじゃないのですが、ここでもうひとつの関門。ソイツ(理解者)に対して生じる“可愛らしさ”を教え手として排除しなければならないのです。

ホントに難しい。嗚呼難しい。でも面白い。

つーか結局、俺は慕われたいんだな。寂しいのが厭だから必要とされてたいんだな。だから教えるんだろう。きっと。……うーん、なんかカッコワルイ。